/ home / list
/ Tottori /
枡水
- 1) 名称(よみかた)
- 枡水(ますみず)
- 2) 所在地
- 西伯郡伯耆町桝水高原
- 3) 分類、情報サイトなど
- 伯耆町HP内 http://www.houki-town.jp/kanko/
- 4) 資料のようなもの
- 〈桝水地蔵と地蔵祭〉
大山の中腹から山麓にかけては大変水が少なくて、昔からあちこちで水争いが絶えませんでした。広い桝水高原には、ただ1か所年中玉の様な水がわき出る所があり、山仕事をする人や旅人はこの水を「真清水(ましみず)」と呼んで大変重宝にしていました。
元禄9年(1696)は夏中日照りが続き、この年大山寺本坊への使者が炎天の中を桝水高原まであえぎながら登ってきましたが、楽しみにしていた真清水はひと滴(しずく)もわいていなかったのです。桝水高原の真清水さえかれる大干ばつでありました。また、その冬は大変な豪雪でもありました。金屋谷長昌寺の古文書に、この年檀徒が73人も餓死したと書かれています。
この話を聞いた美作国の宗真という法印は長い年月をかけて浄財を集め、亨保5年(1720)石の地蔵を刻み、隔夜48日間餓死者の供養を行いました。
ここでは毎年7月下旬に地蔵祭りを行っています。(伯耆町HPより)
いつの頃から知る由もないが、この地に小さな水溜りが出来た。年中水量が、枡で計ったように変わらぬので、村人たちは桝水と呼んでいた。
元禄九年の春、大山寺に伺候した村人は、この水が涸れているのを知り不吉の兆しとして心を痛めたが、その年から凶作相つぎ、餓死者は七十三人に及んだ、と伝えられている。 享保十七年、作州の業者宗真は、この水溜まりを枡形にしつらえ、地蔵菩薩を刻んで四十八隔夜念仏を修行し、村人たちは枡で造った杓で水を献じて、慈悲の祈りを込めた。
それ以来、この地と村落をつなぐ、約一里に延びる二百余町歩の原野も、枡水原と呼ぶようになった。(水場の石碑より)
- 5) 私的な感想など
- 桝水高原の道路沿いにあるので、気軽に立ち寄れます。観光バスなどもよく止まっては、大勢が水を飲んでいることも。
先日も、他県の観光客がバスガイドさんの説明を聞きながら飲んでいた。
お客さん:何の味もしないねぇ。
ガイドさん:だからおいしいんです。
「何の味もしない」というのは、ちょっと違います。ちゃんと「桝水」の味がします。